フェレンツ・フリッチャイ 理想の音楽を追い続けて
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「フルトヴェングラーとトスカニーニの間に位置する」と評されたその特異な芸風はどのように形成されていったのか。
ドイツを中心にヨーロッパやアメリカで活躍したハンガリー出身の指揮者、フェレンツ・フリッチャイ。戦争、音楽界での対立、そして病……多くの困難に直面しながらも、自らが理想とする音楽を追い続け、その中から特異な芸風を創り上げていった名匠の生涯を辿る。
*フェレンツ・フリッチャイ
1914年、ブダペスト生まれ。フランツ・リスト音楽院卒業。指揮者。セゲド・フィルハーモニー、ブダペスト国立歌劇場、ハンガリー国立交響楽団の音楽監督を歴任。戦後はベルリンのRIAS交響楽団首席指揮者、バイエルン州立歌劇場音楽監督等を歴任、欧米各地に客演。1958年秋ごろより白血病の症状が現れ、1963年、スイスのバーゼルにて48歳で亡くなる。
【目次】
第1章 幼少期から大学卒業まで
第2章 セゲドで指揮者として活動開始、実力を蓄える
第3章 ウィーン客演とザルツブルク音楽祭デビュー
第4章 ベルリン・デビューとRIAS交響楽団首席指揮者就任(第一期ベルリン時代その一)
第5章 RIAS交響楽団を一流オーケストラに(第一期ベルリン時代その二)
第6章 ヒューストン、ミュンヘンでの活動
第7章 晩年(第二期ベルリン時代)
付 章 特に忘れ難い演奏
資 料 ディスコグラフィ *ほか、コラムも充実
【著者略歴】
大脇 利雄(オオワキ・トシオ)
1958年6月、群馬県安中市生まれ。1982年、筑波大学第一学群自然学類(数学主専攻)卒業。同年日本国有鉄道入社、1987年、国鉄分割・民営化に伴い東日本旅客鉄道株式会社に入社、安全対策部門で16年勤めた後、籠原運輸区副区長、安中榛名駅長を歴任。2011年、JR東日本メカトロニクス株式会社に出向、2019年6月、定年で退職。吾妻線CTC(列車集中制御装置)の信号を操作する時期をアラームで知らせるプログラムをBASICで作成。高鉄運転史『轣轆114』編集委員、原稿の一部を担当、また数枚の写真を提供。書籍『伝説の指揮者フェレンツ・フリッチャイ』(アルファベータブックス)では資料を提供。2000年11月にウェブサイト「My Favorite Fricsay」を開設。
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