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高度成長と千葉の変貌 友納県政の一二年
¥5,280
大型開発で千葉県を大変貌させた友納県政の一二年は県民に何をもたらしたのか―― 高度経済成長の最盛期から末期を迎える時期と重なって展開された友納県政(在任期間1963〜75年)。京葉工業地帯の造成、幕張新都心構想、千葉ニュータウンの造成、内陸工業団地の造成、新東京国際空港(成田空港)の建設など、数々の開発事業に取り組み千葉県を大きく変貌させたが、はたしてこれらの大型開発によって県民は本当に幸せになったのだろうか。特に公害の発生は地域住民に大きな影響を与えた。 友納武人が県知事を務めた三期一二年の県政の展開を丁寧に追い、開発事業がもたらした影の面や県民が起こした数々の運動にも触れながら、友納県政が次世代へ残した課題を浮彫りにしていく。 《目次》 序章 第一章 高度成長下の友納一期県政 第二章 暮らしの変化と友納二期県政 第三章 経済危機に見舞われた友納三期県政 終章 《著者略歴》 池田 邦樹(イケダ クニキ) 1944年11月 東京都豊島区池袋に生まれる 1969年3月 立教大学経済学部卒 1969年4月 船橋市役所職員となる 2003年3月 定年退職 在職中、市民・企画・都市改造・下水道管理・税制・廃棄物・消費経済課に勤務。船橋市役所職員労働組合中央執行委員長を一七年、全船橋地区労働組合協議会議長、千葉県市役所職員組合連合協議会議長なども務める。 『戦後船橋と市職労の五〇年(上・下)』、『市民の目から見た船橋市政白書』の発行責任者。
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私たちはこうしてゼロから挑戦した 在日中国人14 人の成功物語
¥1,980
裸一貫で来日し、さまざまな困難を乗り越えて日本で事業を成功させた彼らは、今、コロナ禍にあっても、創意工夫をしながら事業を成長させようとしている。 在日中国人14 人の事業成功の秘訣とは? その創意工夫の中身と尽きることのない情熱の日々に迫る!! 《目次》 まえがき 第1章異郷で名を上げる ①謝端明 あなたを幸せにしたい、それが私たちの仕事―― 最先端デバイス「骨伝導イヤホン」の〝スーパープロモーター〟 ②張慶余 「料理の鉄人」へのイバラの道―― 税関公務員から新聞配達、中国料理店オーナーまでの奮闘の日々 ③陶山正 コンビニ模範店のオーナーとして店舗を拡大―― セブン-イレブンにかけた上海人夫婦のサクセスストーリー ④山田栄一 「ゴッドハンド」と評されるトップレベルの整体師に―― 北京の元エンジニアが日本で一八〇度の転身を遂げる 第2章美と技を極める ⑤蘭静秀 誠実さと勤勉さがビジネス成功の鍵―― 中国製手袋を輸入販売して年商二十億の女性社長 ⑥邵麗莉 本場中国式リフレクソロジー専門店を展開―― 夫と二人三脚で、仕事に打ち込み、技術を磨く ⑦邵帥 モダンダンス界に彗星の如く現れたダークホース―― 日本人パートナーとペアを組み、国内外で多くの賞に輝く ⑧富彤 「日本一のダンスシューズを目指したい」―― ダンサーに愛される足にやさしい高級シューズを開発・販売 ⑨カイサー・タティク パミール高原の羊飼いから劇団四季のメインキャストに―― ダンスも歌も最高のパフォーマンスで観客を魅了する 第3章共に支え共に生きる ⑩温中申 道果てしなく、真理を追求する―― 日本で中国人初の農園を開き、オーガニック野菜を生産販売 ⑪王佩瑭 保育園「暖嬰屋」はいかに創設されたか―― 日本式保育を中国に取り入れたパイオニア ⑫左佐樹 プロ歌手からツアーガイド、バス会社の社長まで―― 運命にあらがう不屈のシングルマザー ⑬顧斌 「壁」の向こうの新世界を目指して―― アルバイトからキャバレーグループのボスへ ⑭露崎強 五千円から一千億円への成功物語―― 日本の「華人一の富豪」がホテル王国を築いた道のり あとがきにかえて 《著者略歴》 趙 海成(チャオ ハイチェン) 1955年、中国・北京出身。82年に北京対外貿易学院(現在の対外経済貿易大学)日本語学科を卒業。85年に来日し、日本大学芸術学部でテレビ(理論)を専攻。88年には初の在日中国人向け中国語新聞『留学生新聞』の創刊に携わり、初代編集長を10年間務める。95年、10カ国の在日外国人向け外国語媒体を束ねる「外国人情報誌連合会」代表に就任。99年、中国情報を発信する日本の衛星放送事業者、大富(CCTV大富)の宣伝部長に。また同じく99年には、外国人にかかわる諸問題について都知事に意見を述べる「外国人都民会議委員」に東京都より選出される。2000年、日中合作ドキュメンタリー『シルクロード』の制作に参加。2002年に中国に帰国し、以後は日中を行き来しながらフリーのライター/カメラマンとして活躍している。著書に『在日中国人33 人の それでも私たちが日本を好きな理由』(CCCメディアハウス)などがある。 《翻訳者略歴》 小林 さゆり(コバヤシ サユリ) フリーランスライター、翻訳者。長野県生まれ。2000年から5年間、中国・北京の人民中国雑誌社に勤めたのち、フリーランスに。北京に約13年間滞在し、2013年に帰国。中国の社会・文化事情などについて各種メディアに執筆。著書に『物語北京』(中国・五洲伝播出版社、日中英3カ国語版)、訳書に『これが日本人だ!』(バジリコ)、『在日中国人33人の それでも私たちが日本を好きな理由』(CCCメディアハウス)などがある。
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テンセントが起こす インターネット+世界革命 その飛躍とビジネスモデルの秘密
¥1,980
テンセントCEO馬化騰の著書(共著)では本邦初の翻訳書!! BATH(中国IT企業4社、バイドゥ、アリババ、テンセント、ファーウェイの総称)の中でもアリババと双璧をなすプラットフォーマーであるテンセント。そのコンセプトで中国の国家戦略でもある「インターネット+(互聯網+)」と、それをさらに広げたテンセントのビジネスモデルとは? GAFA を猛追し、急成長する中国・深圳の巨大IT 企業、テンセントのビジネスモデルの秘密に迫る!! 中国だけでなくアジア全体を席巻するインスタントメッセージツール『WeChat』とモバイル決済『WeChatPay』の大成功の秘密は、馬化騰の『すべてをつなげる』という一貫した信念にあった。馬化騰の信念が、中国の「インターネット+(プラス)」の「プラス」の後に続く部分を通して具体化されてきた道筋こそがテンセント大成功の足取りである。本書では、インターネットにプラスされる、ゲーム、エンターテイメント、金融などの具体的な要素を取り上げるだけでなく、中国全体のインターネットプラスという政策をめぐる状況、テンセントの姿勢などを俯瞰的に見る。 越境・融合・全てをつなげる インターネットプラスのパスワード インターネットプラスが国家の行動計画に組み込まれた インターネットプラス時代の六大特徴 いい風に乗れ―どの「風」に乗るか インターネットプラス―インターネット企業の最大の社会的責任 皇帝ペンギン―インターネットプラスで未来とつながる ウィーチャット―モバイルインターネットの新エコシステム 汎エンターテイメント―インターネット+文化創作産業全体の新エコシステムのブースターだ インターネットプラス金融 《著者略歴》 馬 化騰(マー・ホアトン 英語名:ポニー・マー) テンセント創業グループ主要メンバーの一人。テンセントホールディングス取締役会主席およびCEO。李克強首相が提唱する「インターネットプラス」行動計画の主要提唱者および推進者。 張 暁峰(ジャン・シャオフン) 「インターネットプラス100 人会」発起人。マネジメント学博士。 《翻訳者略歴》 永井 麻生子(ナガイ アイコ) おあしすランゲージラボラトリー代表。神戸市外国語大学大学院博士課程単位取得退学。主な訳書に『アントフィナンシャル』『アリババの経営哲学』『シャオミ(Xiaomi)』など多数 《監修者略歴》 岡野 寿彦(オカノ トシヒコ) NTTデータ経営研究所シニアスペシャリスト。 早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター「日中ビジネス推進フォーラム」研究員。日本経済研究センター「中国研究会」 コアメンバー。日経ビジネス・オンラインゼミナール「中国プラットフォーム」連載中。 インターネットプラスとスマート生活 インターネットプラスX
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逃げない流儀 四千億円稼いで「解任」された出版界の革命児 高橋一平(前竹書房会長)
¥1,980
かつて零細出版社であった竹書房を、一代でベストセラーを連発する売上高150億円の出版社へと引っ張りあげ、「過去45年で4千億円を稼いだ」と自負する出版人・高橋一平(前竹書房会長) の破天荒な生き様に迫る!! 「麻雀劇画(『アカギ』『哭きの竜』など)」「フリテンくん」「ぼのぼの」、そして、加納典明を起用したヘアヌード写真集「月刊 THE TENMEI」の創刊と逮捕……元大手版元編集者でジャーナリストの小菅宏が、高橋一平の業界への「告発」と「告白」を引き出し、真っ向から対峙して綴った記録!! 《著者略歴》 小菅 宏(コスガ ヒロシ) 作家。東京都出身。立教大学(在学中「シナリオ研究所」終了)卒業後、株式会社集英社入社。週刊・月刊誌の編集を経て1990年独立。人間と社会の繋がりを探るドキュメント手法に拘る。 主な著書「芸能をビッグビジネスに変えた男」(講談社)「琵琶湖周航の歌・誕生の謎(点字選書認定)」(NHK出版)「アイドル帝国ジャニーズ50年の光芒」(宝島社)「僕は字が読めない・南雲明彦の24年」(集英社インターナショナル)「八百字のありがとう、さようなら(東京都選定図書)」(主婦と生活社)「泣いて笑って母でよかった」(WAVE出版)「姉・美空ひばりと私」(共著・講談社)「美空ひばりの遺言」(KKベストセラーズ)「小説ストリートゲリラ・大藪晴彦選」(ワールドフォトプレス)「集英社版・学習漫画・世界の歴史16(シナリオ)」「美空ひばりと島倉千代子 戦後歌謡史「禁断の12000日」を解き明かす」(アルファベータブックス)。最近著「異能の男ジャニー喜多川 悲しき楽園の果て」(徳間書店)は新聞(毎日・日経)・週刊誌(文春・新潮・朝日・ポスト)・TV(NHK・フジ系・TBS・テレビ朝日・毎日放送・RKB 福岡他)・ラジオで取り上げられる。
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いのち輝け 子供たちと共に
¥1,760
万引きは傷ついた子供の悲鳴である……。 奮闘する地方都市のリーダーによる自伝的啓発の書! 瀬戸内海を望む地方都市で小さなスーパーを経営し、お客との交流や地域活動の中で得た体験をもとに、自然のリズムを大切にする新しい生き方を模索する。著者は、その後、『小さな町から世界を変える』強い意志のもと、独学で「水に命を吹き込む」世界初の独自セラミックス開発に携わっている注目の人物でもある。 《著者略歴》 小積 忠生(コヅミ タダオ) 1942(昭17)年12月8日、広島県忠海町(現竹原市)に6人兄弟の末っ子(双子)で長男として生まれる。終戦後の混乱で生家が傾き、小学生のころから新聞配達などのアルバイトに精を出す。県立忠海高校卒業後、地元企業を経て、22歳のとき、中古バスを活用した「移動スーパー」を開業。 36歳で忠海町に食品スーパー株式会社「マミー」を創業、1号店をオープン。続いて隣の三原市にも2、3号店舗を開店。弟・君生とともに経営に当たる。 38歳のとき、病気で両親を相次いで亡くしたショックから立ち直れず、地元の禅寺「海蔵寺」で1週間の参禅を経験。自己の心と素直に向き合うことの大切さを知る。 その後、スーパーの経営を弟に譲り、水に命を吹き込む「忠海セラミックス」の研究開発を開始。「水が変われば生命が変わる」という事実に気付きを得て「機能性高分子セラミックス(忠海セラミックス)」の開発に成功する。それらについて2014年 FOOD STYLE21、2015年 BBR、2016年 学術論文サイト「Science Direct」に掲載。 現在、有限会社「コズミック」代表取締役社長。